魂よ、安らかに眠れ

木曜の晩に、バンコクへ戻りました。


年甲斐もなく涙の伴う帰国だったけれど、帰国して/できて良かったと思う。世の中には、葬儀に参加できない人も存在する。


亡き人との思い出や最後に会った日を思い出すと、目頭が熱くなる。


30代になり、神棚に手を合わせ、仏壇で線香をあげるのが自然になった。宗教的には一貫性のない行動。ただ、そういうことが習慣になってから、僕は姿の見えない先人たちと、対話のような自問をするようになった。


瞼を閉じ、先人たちを思い浮かべるだけで心が落ち着く。

瞼を閉じていると、祖父や祖母は在りし日の姿で現れる。

表情は昔のまま優しい。ただ、印象的なのはその眼差し。

まっすぐな眼差し。

何か語ってくれる訳ではないけれど、黙って向き合うだけで何か伝わる。孫として接してくれた時と異なる、人生の先輩としての貫禄と生き様が。


先日、その亡き祖父母と一緒に暮らしていた伯母さんが旅立っていった。


生涯独身だった。独身では寂しかったのではないか、という見方をする人もいる。真実は、本人にしか分からないけれど、僕は、必ずしもそうではないと思う。祖父母が晩年を過ごした伯母の家を訪れ、仏壇で手を合わせるたび、僕はこう感じた。


「伯母は今も、毎日仏壇に手を合わせながら、

祖父母と途切れることなく対話を続けている。

目には見えない祖父母の存在を感じながら、

自らの人生を見つめ、静かに丁寧に生きていているのだ」と。


火葬場の待合室で親族にそんな想いを語った時、思いがけない話を聞いた。生前、伯母が母にこう語っていたそうだ。


「雅はね、仏壇の前でおじいちゃん、おばあちゃんと話しているみたい。いつも長いこと、何を話してるんだろうねぇ。」


祖父母と同様に、伯母の姿は見えないけれど、その存在を感じながら、

僕はこれからも繋がりながら生きていく。決して、別れじゃない。

本当に、心からそう感じている。


でも、その伯母の話を聞いて、涙が溢れた。正直、もう一人、別の自分もいる。

僕らを見守ってくれた、恥ずかしがり屋だった伯母と、もう直接言葉を交わすことはできない。


未練が残らぬよう、できるだけ爽やかに、笑顔で送り出したいけれど、

どんなにやせ我慢してみても、やっぱり子供の時みたいに悲しい。


伯母の魂が祖父母のもとへ辿り着き、安らかな眠りにつきますように。

今まで、本当にありがとう。 そして、長い間、お疲れ様でした。

新聞、この大衆迎合的なもの

少しお酒飲んでますが、やはり触れておきたいことが1つ。


駐中国・丹羽大使の交代が、今日も報じられていました。


論調の一部に、「民間人の限界、大局観に欠ける」とある。

この点については、私は非常に懐疑的です。


中国共産党の内部権力争いは、重慶の一件でも明らか。最近はそれに加え、人民解放軍も微妙な存在感を示してる。


日本と対応を誤れば、弱腰だと内部糾弾される中国指導部と、いかにパートナーシップを発揮するか、日本の外務省は重視して来たはず。この点、丹羽大使は路線を踏襲していたと思う。


石原東京都知事のスタンディングプレー、それに触発された世論とのギャップはあったかもしれない。でも、職業外交官でなければ無理、というのは真理ではない。加えて、丹羽氏は歴史に対する造詣も深いと思う。


新聞記者は、中国のことを熱心に勉強しているのだろうか?
多くの日本人にウケそうな、鉄板ネタの焼き直しが、給料の源泉なのか?

杉本信行氏(元上海総領事・故人)が命を削って遺した「大地の咆哮」(PHP)は、同じく日本人が記したものだが、深みと重みが圧倒的に異なると感じる。

ときどき独り言

久しぶりの書き込みです。


こちらの生活にはずいぶん慣れました。毎日、自宅と会社(工場)を往復の日々(笑)。最近では、毎朝5時過ぎ起床、6時頃に部屋を出て、21時頃に帰宅、23時頃に就寝の毎日。小学生並みに規則正しい生活(笑)。土曜出勤も多く、昨日も二週連続でした。


かといって、この生活が嫌いかというとそうではなく、まだ設立五年の若い会社なので、従業員の多くが若くて素直で元気が良い。お節介ながら、駐在期間中には、我が社が大切にしているフィロソフィーの良さを伝えてたい、と思っています。


たかだか3ヶ月前までは、主に自分の担当業務をしていた人間が、こちらでは、彼らに仕事のやり方をみせることも意識していて、自分の変わり身の早さにも驚いているところです。


現在、生管、工務、包装出荷、ITのマネージャー兼務ですが、計画発注しても部品納入が追従してないため新たに購買領域も兼務となるかもしれません。


工務もITも購買も、実務では未経験の領域だけど、様々な経験をさせてもらった中で、その領域ごとに「こういう機能を果たして欲しい」イメージと理想は明確なため、割と前向きに、楽しんでいます。加えて、フィロソフィーを伝えようとしている人間が尻込みしていても始まらないので。 まさにチャレンジです。


タイ洪水の間接影響で、今、中国と関係のある重要な仕事があります。限られた資源の中で、当事者タイに代わって、日本の後方支援でご調整いただいた経緯がありますが、実務では、今、様々な問題に直面しています。更に悪材料として、当初は今春限りの暫定案件が、初秋まで期間延長せざるを得ない見通しとなり、不具合の面積影響が更に拡大するのを、自力で回避する必要があります。


問題点は、大別するとQCD三領域それぞれにあり、今までの経験から、打つべき対策はかなり明確です。


業務設計、工程設計、品質保証の根本的な見直しとなる為、うまく進めないと、反感を買って、不成立というリスクも小さくありません。これを成立に導くため、取引先、現地合弁工場、物流会社、商社など各方面と膝を突き合わせて提案/交渉するため、中国(広州)出張を段取りしています。


提案の核心は「自分たちの利益主張」ではありません。「人間尊重」(自分も相手も尊重、みな納得)に基づき、調和のある業務設計へ見直すこと。単なる理想論で終わらぬよう、実現するロジックと具体的な仕掛けを、資料にまとめているところです。


これが実現すると、中国取引先の現場と、僕の拠点(現場)が平準化され、双方が安定的計画的に業務推進できるようになる。それは具体的な成果。

それに加えて、自己中心ではなく、人間尊重(双方)の考えで「調和のある仕事の流れを作る」という価値観と意義も、関係者全員に示したい。


それが、今の僕の原動力になっています。僕にとって、小さいけれど、世界平和につながる仕事だから。

長い独り言になりました。

直感という宝物

昨日、バンコクでの引っ越し先を探してきました。


都心に近い物件は、便利でセンスよくもちろん魅力的ですが、結論は都心から少し離れた場所に決めました。


物事を決めるとき、そのもの(現物)よりも雰囲気や印象で判断が左右されてしまうのが人間の性なので、予めチェック事項を決めて、極力、機械的かつ客観的な判断となるように心がけました。ただ、それも無駄な抵抗だったようです(笑)。


不動産会社が事前に自分の要望に近い物件を4件、用意してくれましたが、4件目を訪れた瞬間に体が「ここだよ」と反応しました。


広くて、気取らず、こころが安らぐ場所。

それから、都心のように遠慮することなく、空気を胸一杯、思いっきり吸い込むことができる場所。

目に見えないものだけど、体と本能には分かるらしい。


引っ越しは来週土曜日。 仮の宿りを卒業します!!

降雪中止から一年

日本では間もなく、日付が変わりますね。


下記では日本(熊本)の素晴しい仲間のことに触れます。


1/21(土)は、僕が一ヶ月前までいた熊本では特別な一日。ここで何度も紹介しましたが、一年間、事業所のレク活動を裏方で支えてきましたが、そのファイナルイベントの駅伝が開催されます。


昨年は、周到な準備に関わらず、まさかの局地的&瞬間的な積雪に見舞われ、途中中止という不運で終わったイベント。


裏方で支えてきた仲間の素晴しさ、純粋さは、何度も書きましたが、駅伝イベントの中心的なメンバーの一人に、先程TELしました。日本時間23時のTELなんて迷惑なんですが。


やっぱりというか、予想通り、メンバーの大半がまだ会社に残って、一緒に最後の準備、冊子の準備をしていました。嬉しい気分と、誇りに思う気持ちが、胸の中に広がりました。


まだ振り返るべき段階ではないですが、僕が感じるのは、一見、非効率的で時代錯誤ともいえるこういう活動も、実は、人として徳を積む行為ではないか、という感覚があります。


自分が笑顔でなければ、他人も笑顔にはできない。

だからまず、自分の「畑」を耕し、一生懸命やる。

でも、「自分だけが笑顔」なんてありえない。


大げさで、抽象的かもしれないけど、やっぱり自分は「Love & World Peace」に繋がる仕事/生き方をしたい。


全ての人類の、全ての欲望は満たせない。けど、

自分は、タイ王国で、そういう生き方を実践し、提案したい、かな。

「No Music, No Life」, indeed

今日も、充実した一日を終え、さきほど無事に帰宅しました。


仕事もアフター5も先輩の心配りと引き継ぎを受け、帰宅の道すがらは、赴任後初めて、後部座席で遠慮しながらも、おいしくビールをいただきました。


そして、これから書くのは音楽のことです。


己のエネルギーの源(原動力)は食べ物であり、夢&志ですが、もうひとつ重要なものは音楽です。

現在でも青春時代のつもりですが、多感な中学生の頃に聞いた音楽は、今日でもココロのスイッチを押してくれます。


ビールでご機嫌になりながら、ヘッドフォンから流れるX(JAPAN)のSay anythingに思わず、涙と鼻水がグス…ドライバーさんが気づいてたら、ビックリしたかもしれないッス(汗)。


そして帰宅後、本当に久しぶりに部屋で音楽を鳴らしてます。

伸びやかに、自由に、久保田利伸が初期〜最近の代表曲を歌ってくれてます。


「No Music, No Life」って、宣伝文句じゃなくて、事実だな。


☆☆☆ Thank you very much to all of real artists. ☆☆☆