第47回 衆議院議員総選挙 前夜に思う

rider-mtv2014-12-13

サラリーマンという組織に属する一員として、15年が経った。その過程で、生きる技術としては、政治についてむやみに発言しない方が良いことは理解している。それでもやはり、意見を述べたい。


今回の衆議院総選挙の争点は「アベノミクスの是非を問う」とされる。その経済政策の有効性については、専門家でも見解が分かれている。


一例を挙げれば、今週の日経で3日に渡り掲載された経済教室(12/9-11)は、賛否両方の視点から論じている。以下、見出しのみご紹介したい。


■12/09 ”「デフレ」の診断・処方箋誤る”

■12/10 ”緩和、名目GDP押上げ”

■12/11 ”円安、需要不足解消に必要” 


以上から、アベノミクス政策評価は、視点によって功罪両側面があり、成功とも失敗とも言い難く、よって有権者の判断は容易でないと思う。


不謹慎ながら、アベノミクスを宝くじに例えたら「当たる確率も外れる確率も現時点でほぼ同じ。だけど、買わなければ当たらないよ」という宣伝文句が妥当だろうか。


1点、重要なポイントは「当たった」時は、日本で暮らす多くの人が恩恵を受けるが、「当たらなかった」時は、全員で痛み分け、とならない点だ。はっきり言えば、ハズれた時は将来世代に負担(ツケ)が残る。景気を上向かせるため、人々の「期待」に働きかけるお金の源は、将来からの前借り(借金)に他ならない。


国債・財政が話題になると、必ず『日本国債は、ほとんどが日本の銀行(34%)や保険・年金・金融機関(47%)の保有で、海外の保有率は10%未満なので、ギリシアアイスランドとは異なる』という話が出る。


信用不安は起きない、という安心材料としてしばしば引用されるが、本質において、日本という国がローンで莫大な買い物をして、後で支払う構造に変わりはない。しかも、日本国債の信認が低下して(最近、下がったばかり)金利上昇に伴う追加負担が現実味を帯びても、年金問題で愛想を尽かせた若年層の怒りを刺激せぬよう「寝た子を起こすな」とばかりにメディアは積極的に報じない。


ただ、財政赤字の問題も、単なる世代間格差(損得勘定)や不公平感の側面からのみ捉えるべきではない。現在の日本では、負の遺産のみ強調される傾向だが、人類は常に先代が積み上げた無形の(プラス)遺産の上に暮らしており、例えば戦後日本の場合、高度経済成長を支えた世代の勤労の上に今日の繁栄があることは、誰の目にも明らかだ。よって、財政のマイナス面だけを取り分け強調し、世代間格差を声高に論じるのもバランス感覚に欠けると言えよう。


「結局お前は、財政出動に問題ありと言いたいのか、問題なしと言いたいのか?」と問われれば、身近な自分の家計に置き換えれば、全くの楽観論では済まないだろう、との結論になる。だから、無関心・無知ではいられない。同時に、日本はもう終わりだ!と極端な悲観論に走らぬよう、現実を適切に把握しておく必要がある。そして、これは自分の家計より広く大きな話だから、他の人とも意見を交わし、共有する必要もあると感じる。


何事も初めてやることにはリスクが付きものだし、やってみなければ得られないことも多い。チャレンジこそが歴史を作ってきた。アベノミクスもしかりだろう。


ただし、その提案の是非を求めるならば、きちんと想定メリットとデメリットを整理・説明すべきだと思う。これを別の例を挙げ説明したい。


例えば、インフォームドコンセントという言葉と概念が定着して久しいが、病院で手術を受ける時「上手くいけば治ります」という言葉だけで納得し、担当医・病院側に全てゆだねる患者は、今どきどれだけいるだろうか。


また別の事例として、ビジネスの世界で「起死回生の売り上げ倍増プロジェクト(但し、年商の数年分に相当する大型投資)」に対して、社長や役員らがバラ色の成功のみを信じて疑わず、事業リスクを検討しない会社などあるだろうか。成功シナリオとあわせて失敗シナリオ(リスク)を分析し、総合判断するのが通常ではないかと思う。


このように、世の中における決定プロセスとは、実際には目に見えないものを、できる限り見える化し、関係者が共有した上で、最終判断している。今回の「アベノミクスの是非を問う」は、いかがだろうか。


「リーダーの役割の1つは、人々に希望を与えることだ」という点に異論はない。人々が明るい気持ちになれるよう、景気回復に心を砕き、希望と可能性をたいまつの火で照らすという姿勢は、安倍首相をはじめ、持ち続けていただきたい。


一方、流通する情報を戦略的に選択して、有権者があたかも自らの意思で選んだかのように仕向けるやり方は、小泉政権でも見られた手法だが、一般世界ではこれを「詐欺」と呼ぶこともある。日本国のリーダーたる総理大臣(と関係者)において、その点は十分に理解されたい。


今回の選挙で、自民党が掲げる「この道しかない」という言葉には、独特の響きがある。党内で議論したのか、広告代理店のアイディアなのか、定かではないけど、あたかも「あなたが生き残るためは、もうこの方法しかないよ。さあ、どうする?(覚悟を決めろ)」と相手を追い込む、あるいは脅迫に似ている、と感じる人もいるかもしれない。


選挙のキャッチフレーズだから、力強さと躍動感は宿命だろう。けれど、そのロジックには「いつか来た道」が二重写しとなる。

かつて小泉首相(元)が残してくれた”財産”の1つに「これ(郵政民営化)が達成できなければ、その先も全てダメ、上手くいかない。全てゼロ、終わりだ」という単純な世界観が、素直な有権者を一種のパニックに導く(二者択一の単純思考)魔力を持つことを教えてくれた。


そして今は、アベノミクス。「この道しかない」と確信できるだろうか。リスクもあるが、それ以外の解決策はないと言えるだろうか。自分の胸に手をあて、自問してみる。


新聞報道では、明日は自民党が圧勝する見通しだ。個人的には、自民圧勝より、バランスが望ましいと思うが、何よりも有権者がきちんと意思表示すること(投票率)がポイントだと思う。


もし仮に、数十年後に不満が生じても、「自分たちで決めたこと」と納得すれば良い。


知らないうちに膨らんだ借金でも、笑顔で返済するような成熟したオトナになればよい。


最大限尽力した甲斐もなく、返済できなければ、更に次の世代へとツケを垂れ流しにする図太さを身につければよい。


その結果、次の世代から白い目で見られ、後ろ指を指されても「わたしらは精一杯やった。もう年老いて身体の自由も利かない。あとは頼む」と演じきればよい。


そう割り切るならば、日本は大きな問題を抱えてはいない。

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かつて明治初期に、福沢諭吉は『学問のすゝめ』で右の有名な言葉を残した。


『一身独立して、一国独立す』


それからおよそ140年。苦難の歴史で勝ち取ったはずの選挙権は、誰もありがたがらず、投票を面倒くさいと考える人もいるようだ。


だが、本当に面倒なことなのだろうか。


自分が人生の主人公として生きることは、同時に、その時代をより望ましいものへと変化させる努力も含むと思う。


例えば、家の前の落ち葉を、隣の家の前に掃き出すことで、本人の問題は解決しても、真の全体の解決(掃除)とは言えない。だから、自らの意思と行動によって、隣人とはいがみ合いでなく、知恵を交わすことで、より望ましい環境を共に創ろうとする姿勢こそが王道となる。


選挙における投票とは、この合意形成に似ている。果たして面倒くさい行為だろうか。あるいは、未来のデザインに携われる楽しい行為だろうか。視点、捉え方次第のように思われる。


経験則から言えば、人間が行動を起こすスイッチとは、その人の外側にはついていないようだ。その人本人が、内側から押すことでしか作動しない。スイッチを自ら入れるか、否か。


明日の投票率は、日本人の心の在り方を、偽りなく映し出すだろう。


未来をともに創ろう。

未来をともに生きよう。