丹羽 宇一郎(前駐中国大使)さんへのリスペクト

学生時代、JASC(47/48/49)で継続的にご支援(寄付)いただく中に丹羽さん(先輩)のお名前を拝見しました。以来、心にずっと刻まれていたお名前でした。


自分も社会人となり、丹羽さんが著された数々の著作を拝見し、ビジネスにおける分析力・実行力、ご実績は世に広く知られるところでありますが、同時に、人類の歴史、隣国であり日本が範とした中国に対する深い造詣に尊敬の念を抱くようになりました。


丹羽さんのおっしゃるように、我々には半分、動物の血が流れており、残念ながら、その生存本能(自己都合)が優先されてるように感じる事例を目にする機会も少なくありません。一方で、ノブレス・オブリージュ(仏:noblesse oblige 高貴なる者が、自らに課し果たす役割(徳)、とでも言うのでしょうか)を静かに実践されている方も存在し、丹羽さんは世界に誇れる日本の大先輩と確信しています。


かつて企業派遣のトレーニーとして中国で2年を過ごし、現在は東南アジアで仕事をする者として、外から日本を見てみると、いびつなコンプレックスをむき出しにしているように感じます。


自らの拳を、自らの頬に向ければ、手加減をしても、その生身の痛みを、身体は知ることになります。この痛みは、相手が受けた場合も、決して小さくなるものではありません。痛みを受けた多くの相手が、次にとる行動は、大抵、予想がつくのではないでしょうか。


決して、理想論だけを述べるつもりはありませんが、拳をかざせば、拳をおさめることがますます難しくなり、拳は結局、何も解決することはない、と断言できます。


今、日本がとるべき道は、国際社会の当事者である自覚と緊張感を回復させつつ、隣国と拳(武力)による無意味な争いを起こさないことだと思います。


日本における自信の無さが、ヒステリックに近い過剰な反応をもたらしているように感じます。国という枠を超えて、人類が流して来た多くの血と汗と涙の歴史を決して無駄にしないよう、各領域のリーダーも、構成メンバーも、現実の中で考え、かつ、理想を失わない姿勢が求められていると思います。


私は、清廉潔白な丹羽さんを、これからも応援させていただきます。