日本における中国/韓国報道に感じるバイアス

少し前になりますが、韓国の客船沈没事故、そして、中国の天安門事件('89年)から25年、をはじめ、日本は隣国の出来事も、連日に渡って熱心に報道することがあります。


多くの大衆が求めるのは、日常でなく、非日常と事件性なので、その原則へ素直に追従しているのかもしれません。けれど、個人を幸せに、心豊かにする魅力はあまり感じられません。


他の家庭のいざこざや対応のまずさを、いかに雄弁に説明できたとしても、自分の家庭の問題が解決したり、前進する訳でもないのと同じこと(日本国内の事件も同じですが)。


「日本は民主主義国家で、他国と違って、表現と報道の自由が保証されている」などと過信せずに、報道する側にも市場原理と権力の力学が作用している点を念頭に、人から聞いた話よりも自分の耳目と頭、生活者としての実感を大切にしたいと感じます。


天安門事件では、ずっと気になっていたことが1つ。有名な装甲車をとめた男性の映像。高い建物から抜群の角度で、鮮明に、一体誰が撮影したのか。どういうルートで映像が世に出たのか(検閲を免れたのか)。


事件の背後に外国による工作活動の可能性も疑いましたが、意外にも、中国で放送された映像のようです。


とあるサイトにてオリジナルと思われる映像を見つけましたが、男性が走路に立ちはだかり立ち往生する装甲車を映しながら、中国語で「人民解放軍(装甲車)が、生命に対する最大限の敬意を払い、抑制を行った証」という趣旨のコメント付きで報じられたようです。体制を擁護する立場から、中国国営テレビ局「中国中央电视台(CCTV)」と推測されます。


これは、結果的に逆効果につながる単なる初歩的なミスだったのか、それとも、確信犯的な人物が、体制を擁護するメッセージに見せかけながら、実際には、映像を合法的に流す目的を達成したのか。


もし仮に後者の場合、その人物は、処罰(最悪処刑)を受けたことが容易に想像されます。その己の運命を知りながら、あえて実行した人物がかつて中国に存在したとすれば、その戦略的な知性と、恐怖に屈しない真の勇気に、心の底から最大限の敬意を払いたいと思います。


現在の日本にも、覚悟と実行力をもった報道関係者がいることを切に願いながら。