辞職する仲間を見送る気持ち。

今週は、内容盛りだくさんの一週間でした。


約半年前に新しい購買チームができ、その頃から「将来は家業を継ぐので帰郷します」と素直に話してくるメンバーがいた。それは仕事の上司部下の関係というより、弟と同い年で、モータースポーツなど趣味でも嗜好の近い、友達感覚から来ていたかもしれない。


当初はあと二年ほど働く計画が、今週月曜に、辞職の相談を受けた。引き止めはしなかった。もったいない、とか、一生懸命育てたのに、という気持ちはなかった。それはこの5,6年で自分が変わった部分。


人生はきっとみんなそれぞれのストーリーと役割を背負った主人公で、1つの枠組みで縛れる存在じゃない。彼も親族の期待と責任を背負っているはず。


仏教にも通じると思うけれど、今、カタチあるものは未来も同じとは限らない。だから、兄弟のように大事にするけど、離れることを必要以上に悲しんだり、恨んだりしない。それも1つの大きな流れとい
うこと。


僕は他にも、仕事で繋がりのある複数名から、数ヶ月以内の辞職・転職を聞いている。人間は、身近な誰かに話すことで、自分の意志を固めるのかもしれない。


自分はこの地で、複数の部門・領域マネージャーを兼務しながら、結果責任を負っている。スポーツに例えると、プレーヤーでなく、監督・コーチの立場に近い。その僕が意識すること。スタープレーヤーに頼ったり、その獲得を目指すチームではなく、基礎をもった普通のプレーヤーをきちんと育成できる中堅チームでありたい。良い(と言われる)選手を外から連れてくるのでなく、大切なことを理解させて、育てる。学校教育で言えば、飲み込みの早い優等生にあわせるのでなく、必ずしも飲み込みが早くない生徒を基準におきたい。


世界と歴史は、圧倒的多数の普通の人々が支えて来た。自分が生きている間、仕事を通じて、人を育てる働きができたら、それは最終的には、世界の幸福や平和に寄与できる天職だと思う。